紺野あさ美(コンノアサミ)
生年月日:1987年5月7日
血液型:B型
出身地:北海道出身
趣味・音楽を聴くコト。買い物etc.
特技・トロンボーン★★
(以上公式プロフィールより)
彼女を応援しているファンは多いのであろうが、彼らが彼女に対して求めているものは、いったい何なのだろうと、時折思うことがある。
本当に時折なのだが、そう思うことがあるのだ。
アイドルを好きになる、そのきっかけというのは大体見た目・外見、雰囲気といった、第一印象である場合が多いのだろうから、紺野あさ美さんというアイドルに関しても、ご多分に漏れずその様な方も多いのではないだろうか。
また、第一印象だけではなく、その後しばらく彼女の言動や歌唱といったパフォーマンスに触れて、徐々にそのキャラクターを愛し、応援する気持ちになった。というケースもあろう。
もうひとつ、「モーニング娘。」というグループアイドルの特殊性から、彼女の「モーニング娘。」という組織内でのポジションやたたずまい、働き、他メンバーとの係わり合いの中で、彼女に対するシンパシーを増幅していった、ということも考えられる。
容姿や性格についての好悪は、その人に対する個々人の基準や思い入れが、その判断の際には非常に重要な要素となる。だから紺野あさ美さんの容姿や性格(あくまでもその人の主観で測られる)が好きな理由だと言われればそれは至極真っ当な理由なのだ。
と、ここまで書いておいて非常に言い訳がましいのだが、先程、ぼくは彼女について「本当に時折なのだが、そう思うことがあるのだ。」と記したように、ぼくが彼女やそのファンのことについて考えることなどというのは極々わずかなのである。そして、その内容は圧倒的に、「ファンはなぜ彼女のことを応援しているのか」ではなく「彼女を応援しているファンは、一体、彼女に何を求めているのだろう」という疑問であり、またその疑問は直接彼女に対する興味につながっているのである。
これはずっと以前、それこそ彼女が5期メンバーとしてモーニング娘。に加入してしばらく後から漠然と抱いてきたもので、それが安倍なつみさんのモーニング娘。卒業のコンサートで彼女が欠席を余儀なくされたときはっきりと「疑問」として浮上したのである。
紺野あさ美さんが不在のまま成立した卒業コンサート。ここでは彼女がその際にどう感じたかは触れない。勿論、興行としては「ハロープロジェクト・コンサート」であり、卒業の当事者である安倍なつみさんが欠席、という事態にでもならない限りは、例え欠席者が辻希美さんでも、矢口真里さんでも、あるいは飯田圭織さんであってもコンサート開催を強行しただろうし、それをもって「卒業コンサート」という興行は「成立」したとみることもできるだろう。それに安倍なつみさんや後藤真希さん、中澤裕子さん、加護亜依さん、飯田圭織さん…彼女達がいなくなっても「モーニング娘。」は存続する。事実上誰が欠けても「モーニング娘。」は成立するということになる。一興行においてモーニング娘。を構成する誰かが不在でもそれは大きな問題ではないのかもしれない。
しかしながら、こと「安倍なつみ」の卒業に限って言えば「飯田圭織」の不在と「紺野あさ美」の不在とではそれがもつ意味が全く違うのである。この場合、「飯田圭織」がいなければ「モーニング娘。」は「成立」しないのではないか。そして「紺野あさ美」の「不在」によってモーニング娘。が「成立」しなくなる事態について、思ってみる。
紺野さんは、モーニング娘。に加入したとき、そして現在、モーニング娘。の紺野あさ美としてどの様な未来を描いた(あるいはいる)のか。そのことを語ったものを読んだり聞いたりしたことが無いのでよくわからない。
思えば、彼女は加入時から「赤点」という言葉に象徴される様に、突出した歌やダンスの才能に恵まれていたわけではない、その面ではむしろ5期を含めメンバーとの比較では「劣っている」存在である。また、テレビなどで見る限り他者よりも積極的に前にでて、己をアピールするような存在でもない。結果、歌を中心としたパフォーマンスでも、その他のテレビ画面でも、メンバーの中で彼女が目立つことはそれほど無い。
今の位置が良い、と思っているのか、不満なのか。そして彼女のファンは彼女にどうなって欲しいのか。
相次ぐ「モーニング娘。」メンバーの卒業の中、これから彼女はどうなりたいのか、どうなっていくのか。残されたメンバーの中で一番読み切れないのが彼女であり、これが今彼女と彼女のファンに対してぼくが持っている最大の興味である。
だからこそ彼女には、他のどの芸能人にも無い、不思議な魅力があるのだが。