日記5月下旬




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2004年8月14日(土)
本番
 しかしながら開会式がこんなにつまらないものだったとは知らなかった。いつもこんな感じなのだろうか。そして日本女子のユニフォーム(?)の恥ずかしさ、うちわの意味の無さ。栗原恵さんしか写さないカメラ。大山加奈さんの挙動の怪しさのみが救い。後香港の旗手。
 それにしても中居正広さんと久保純子さんに限らず、各局司会に力を入れているようだが、もう少しシンプルに、引っ張り無しでやってくれないとこちらはバレーしか見る気が無いのにジリジリではないか。こっちは谷・野村・北島等の各氏が金メダルを取ろうが取るまいがどうでも良いのである。ただNHKが一番ましで、試合開始の少し前に見ればよいということは今回で充分分かった。
 そしてブラジル戦。結果3-0の敗北はどうでも良いとして、何億か分からないが巨額の放映権料を払ったにしては映像が安っぽすぎる。その上カット割の意図も分からない。とにかくひどい映像である。球技は一度に2カ国しか登場しないのだから、各国の裁量でスイッチングすれば良かろう。せっかくNHKBSで見ているのにタイムアウト時にブラジルチームが映っている時間が長過ぎなのもストレス。
 …要するに大山加奈さんのアップが少ないことに怒りを覚えているのである。1セット目の大山さん連続ポイントもロングばかりで見づらいことこの上ない。
 わずかながら見所は、サーブ。ここだけは野球の投手と同じで、完全にサーバーが主役である。大山さんはジャンプしてサーブするわけではないから非常に見やすい。何よりもっとも重要なのは、彼女の間である。サーブを打つまでに本当に悠然と間を取る大山さんの白い横顔。一心にボールを見つめる目、決して固くは結ばれない唇、まさに菩薩像のような美しさである。ボールの弾みを確認するように何度もコートにスパイクした後、ボールに祈りを込めるかのように両手で眉間まで持っていき、そのボールをうやうやしく左手に捧げる。ここまでの挙動からサーブまで、彼女には一種の神々しささえ感じる。
 オリンピックって良いですね。
 関係ないが、内田恭子アナウンサーは致命的に酷い声だ。中野美奈子さんの全く上達しないアナウンスといい、フジテレビのアナウンサーは素人目にもアナウンサーとしてのセンスを決定的に持っていないと分かる人を何故積極的に採用するのだろう。
2004年8月13日(金)
いよいよ
 こんなにオリンピックが待ち遠しい気持ちになったのは30年生きていて初めてである。開会式見たいなどというのは今迄のぼくからすればありえないことである。
 当然「ガンバレ ニッポン」な気持ちからではない。パワフルこと大山加奈さんのせいである。当然、バレーしか見るつもりは無い。だからといってオリンピック後、Vリーグまで見るかといえば多分見ないだろう。これがオリンピックの魔力なのだろうか。大山さん本人が「夢」と表現した舞台だからこそ、彼女が汗以外の何かで光るのではないかと、期待している。何かベンチウォーマーという話も有るが、そうなったらなったでこちらはも楽しむ用意はある。彼女しか見えないようなフィルターを脳内にかけることも可能である。
 メダルとか予選通過といったことは些事だ(勝つに越したことはないが)。彼女があの鉛色の笑顔で日本に帰ってきてくれることだけで良い。
 今回のオリンピック。世界的に見れば多分注目度は最下位に近いであろう野球。今回金メダルが取れればいいや、という感じの志の低いチーム構成。4年前と打って変わって協力的だった巨人軍。当時から渡辺-堤ラインで今年を睨んでいたのだろうか。
 と、渡辺恒雄さん。オーナー辞任の報。結局、このプロ野球への入り口であるドラフトを改革していかなければ、選手の年俸の高騰を抑えることは出来ないだろう。やはり、完全ウェーバー制が望ましいのではないか。張本勲さんは、今回の球団合併、1リーグ化の流れをFA制など選手側のエゴによる年俸高騰が原因といっていたが、年俸高騰の流れはすでに球団主導で(今回のようなことは巨人以外でもやっているだろう)、プロ入り前から始まっているということが今回の件で証明されたのではないか。そして、FA制を含むその流れを一番有効に活用しているのはどこなのかを考えれば、本当のエゴイストが誰かはおのずと見えてくるはずである。
 それにしても今回の件では、プロ野球球団は企業の私物である。ということを嫌、というほど知らされた。プロ野球の試合観戦というのは大金持ちの自動車収集家のスーパーカーコレクションを貧乏な車マニアがいくばくかの金を払ってみているようなものである。車には触ることも出来ないし、乗ることも出来ない。眺めてため息をつくだけである。オーナーがスーパーカーを廃車にしても、転売しても、ニコイチにしても文句をつけることは出来ない。大金持ちは倣岸で、我々は卑屈だ。しらける話だ。

 安倍なつみさんの新曲のDVDがどのレコード屋を探しても、無い。欲しい。

追記
 女子バレーのアイコラ問題。大山さんの顔には大山さん以外のどの様な肉体をコラージュしても意味が無いことに、アイコラ製作者達は気付くべきだろう。裸よりもっと凄まじいエロスを、ユニフォームの上からでも彼女はぼとぼとと洩らし続けているのである。 
2004年8月10日(火)
両親に感謝する日
 本日は安倍なつみさんの23回目の誕生日である。
 彼女が30歳になり40歳になった時、目尻には笑いじわが刻まれていることだろう。
 そしてその笑いじわが50になり60になったぼくを幸せな気持ちにさせてくれるということを夢想している。
 北の国の女の力強さ。
2004年8月9日(月)
激痛V
 全く快方へ向かわない腰の痛み。コルセットしてると汗ダラダラになる。ちょっとしたダイエット気分である。
 毎年、8月になるとおっちょこちょいというかお調子者が勇ましいことを口にする。半世紀以上前に崩壊した物語をさも大事なもののように語りだす。現在は為政者にとって相当やりやすい世の中なのだろう。ソ連に替わる仮想敵国も増えた。多くの自衛隊員を靖国に祀る準備も出来た。「負け組」は増え続けるが彼らにはそれなりのはけ口を与えて「自分が負け組」とは感じさせない。見事に麻痺している。
 それにしても、自分が「マケ」と無頼を気取っているのに、「カチ」に未練たっぷりな人は悲しい。腹まで見せちゃってるのに。

 今のぼくは「カチ」より「カナ」である。
 昨日のNHK-BSのアテネ全日本女子バレーチームのドキュメント、6時になっても阿藤快の入浴シーンであった。衛星第二を気付かず見ていたのである。あわてて予約録画キャンセルし、衛星第一へ、冒頭5分まるっきりロスである・・・。
 しかしながら、大山加奈さんのレシーブ特訓風景はかっちり抑えることが出来た。ぼくはぼくの山場を確保したのである。
 いつものように全身うっすら汗で光っている大山さん。カメラは試合ではあまりみないほどに彼女に近づく。柳本監督直々の指導。改めて、彼女の下半身の充実ぶりに瞠目する。腿周りあきらかに柳本監督の2倍はある。筋肉質にも関わらず全く躍動感を感じさせない太腿。そして圧巻はふくらはぎ、所謂ヒラメ筋の発達具合は、全盛期の沢村忠を思わせる。まさに威風堂々である。競輪選手(またはスピードスケート選手)とは一味違う力強さ。これは観月ありさ的脚線美を否定する、新たな脚線美の象徴である。その白い足がヌメッとした汗をニスにして輝く。素晴らしいとしか言いようの無い光景。その後の大山さんと栗原恵さんのバック2ショットをみて、二人の脚の太さの違いにまたも驚嘆する。やはり栗原さんの「プリンセスメグ」の称号は、大山さんの対比においてより有効であることを再確認する。
 そしてこのレシーブ特訓中、大山さんはほぼ一貫して笑みを浮かべているのである。ぼくの中でこの笑顔の意味は咀嚼され、勝手に解釈して勝手にそこに惹かれているのだが、あまりにも気色が悪いのでここには書かない。この時点で充分気色悪いが。
 この番組でのもう一つの目玉は「ママさんバレーの最高峰」こと辻知恵選手の大フィーチャー。彼女をの鳥類を思わせるルックスをより陰気にさせるような柳本監督の「シゴキ」。レシーブ練習で明らかに取れないところ(実際どうかはわからないがそう見えた)にボールを投げる柳本さん。追いきれない辻さんに罵声、練習中断。大友愛選手涙の抗議「監督だけがメダルとりたいんじゃないんですよ」と辻さんの「体はついていかないけどやる気はあります」発言。「お前(辻さん)はやったらできるっておれ言うてきたやんか」柳本さんのきめ台詞で練習再開。
 まさに『柳本劇場』である。大衆演劇の分かりやすさを、もう一度国民の前に提示せんとする、柳本晶一とその一座に惜しみない拍手を送るものである。
 フォローするわけではないが、辻さんが彼女の自宅でご主人とご子息と一緒にいるところをテレビで見たが、実に上品で温和な婦人といった風情で魅力的であった。
2004年8月6日(金)
激痛U
 現在第何次かのお笑いブームらしい。いつからかは余り良く覚えていないけれども、テレビで放映される若手の芸人のネタにあまり笑えなくなってしまっている。老化による(笑いに対する)保守化なのだろう。所謂若手芸人で面白いな、と思わせるのはおぎやはぎくらいである。
 で、結構話題になっているのが「はねるのトびら」のアレルギー体質の人をからかうようなコント。この番組を以前一度だけ見た時に、やはり面白くなくて二度と見ていないのだが、そのコントをやっていた。キャンプに北陽虻川さん演じる例のキャラクターが出ていた。
 これが全く笑えないのである。ぼくには虻川さんはじめ出演者のすべてが痛々しく感じた。
 もちろん差別や障害者をネタにした笑いや見世物は、古くからあった。それに元々芸人は賤民、蔑まれる存在の一つであったわけで、弱者が弱者を笑い飛ばす、という側面もあったと思う。しかし、今、芸人の地位はとても弱者といえる立場には無く、その面でのエクスキューズも無くなっている。また今回の場合、表現も紋切り型で稚拙すぎた。
 なにより今回出演していた芸人達が、芸人として致命的であるのは、「ここまでやったらまずいから、その手前、ギリギリの線で表現を止めてみよう」と言うような嗅覚に恵まれていないことであろう。要するに彼等自身何が「シャレ」なのか、「シャレ」になっているのかがわかっていないのである。これは以前の「王シュレット」事件もそうなのだが、ここら辺のセンスの無さは、テレビマンの質の低下の問題も含まれていると思う。
 嫌なら見るな、という声もあるようだが、殊地上波でそれは通用しないことは言うまでも無い。
2004年8月5日(木)
激痛
 ここ数日、腰痛に泣かされる。痛みってものは共有できないことが多い。人は大概他人の痛みには鈍感だし、想像力も働かない。じゃ無けりゃ生きていけないということもあるだろうが。それにしても想像力が決定的に欠如したロッカー(気取り)と言うのは、存在価値があるのだろうか。
 安倍なつみさんの新曲だが、曲を聴き、PVを見た段階で、ぼくは結構否定的な感情を抱いていた。
 彼女の声はこの曲にマッチしている。愛らしく、甘ったれ気味の声である。総制作費50万円以下という感じのPVでも、彼女の可愛さ、稚気といったものが充分に伝わってくる。
 しかしながら、彼女はもはや23歳にならんとしているのである。カップリング曲ではないが高卒OLならば5年目になる女性が「ピロリンピロリン」である。上司もいつまでも「なっちゃんはなにやってもかわいいねぇ」などとは言ってはくれないのだ。
 そう、残念ながら彼女の神通力が通じるのはぼくのような、彼女に思いを寄せている者くらいなのだ。それを知ってか知らずか、作り手は「何をやっても受けていた頃のような」曲を作ってしまうのである。モーニング娘。の新曲のように。気付いてはいるのだろうけれども。
 前2作と毛色の違うものを作るにしてももう少し「等身大」的な作りもあろうに・・・。
 ・・・と、大要上のようなことを考えていたのだが、8月4日の彼女出演「レコメン」を聞いて、そんな考え自体が小さいな、と、痛感してしまった。
 とにかく彼女、この新曲に対して「ノリノリですよ」(杉山祥子さん風に)。「恋のテレホンごーぉるっ(日テレ船越アナから有り余る不快感を取り除いたような)」という曲紹介を聴いただけでも、PVのコスプレ5体(なっちFIVE)を語る勢いも、とにかくこの曲を歌うことが楽しくて楽しくて仕方が無い、という気持ちが溢れてきているのである。自分の曲がラジオから流れることが本当に本当に嬉しい、と語る彼女。
 それが答えなのだと思う。仕事を心から楽しんでやっている人間を見ると、こちらも嬉しくなる。それが安倍なつみならその嬉しさは。彼女のその姿を出来るだけ長く見る方法は、ぼくにとっては一つである。