日記5月下旬
2004年7月14日(水)
八百八町夢日記
 何気なく『Matthew's Golden TV』を見ていたら保田圭さんがレポーターとして出演。利尻島で海鮮ちらしの具材探しをしていた。
 モーニング娘。を卒業した面々にはいずれ「元モーニング娘。」と言う肩書きが重荷になってくる場合もあるだろう。いや、現実としてそうなりつつあるメンバーも多い。
 だが、今日の放送で保田さんは、少なくとも保田さん自身は、そういった肩書きを捨てるでもなく、抱え込むでもなく極々あっさりと、ぶっきらぼうなほど「タレント」保田圭の存在をプレゼンテーションしていたように思える。そこには保田圭というタレントだけが存在していたのである。これは彼女の今後の芸能生活にとっては良いことなのだろう。
 この逆の好例が石黒彩さんで、彼女の芸能人としての存在感は、「元モーニング娘。」の肩書きにいい意味で依存している。
 両人共にマイペースに、芸能の世界で生きていけると良いな、と思っている。二人の内心、腹の内は全く別のところにあるのかもしれないが。
 そんなことよりも本当のところこの『Matthew's Golden TV』のみどころは、三笑亭夢之助さんの実に久しぶりの爆発ぶりであった。普段テレビ東京製作のグルメ番組くらいしか見ることの出来ない夢さんだが、そういったグルメ番組ではレポートが中心となってしまい、中々、はじけたところを見ることが出来ないのだが、今回は十数年ぶりくらいで「目をひん剥いた上で寄り目をし放心の表情」を見ることも出来た。中尾彬さんの言うように「夢ちゃんは馬鹿だから」なのである。なんというか久しぶりに「C調」という言葉を思い出すほどの存在の軽さ。この種の軽さを出せる若い芸人さんは、現在余りいないような気がする。単に時代遅れなのかもしれないが。
 惜しむらくは夢さんの出番が一回しかなかったことと、番組を録画をしていなかったことである。
2004年7月13日(火)
コーチの値打ち
 野球オリンピック代表の壮行試合が行われている。
 案の定中畑清がしゃしゃり出てきている。チャンネルをすぐ変える。彼をコーチとして招聘した長嶋監督の力量も問われるだろう。このまま長嶋監督で行くつもりなのだろうが、彼に関してネガティブなことをいいづらい雰囲気が各報道機関にあるのも問題だ。
 昨日も書いたようにオリンピックに関しては殆ど興味がないし、見ないだろう。前回のオリンピックは野球だけ見た記憶があるが、長嶋監督続投なら恐らく見ない。これと巨人選手参加はそれこそ読売渡辺主筆の球界支配への布石だろう。1リーグ制下の3軍と社会人との交流戦構想もどうにもキナ臭い。
 中畑にしろ大久保博元にしろ、長嶋さんで喰おうとする奴らの顔というのはどうしてああも卑しいのだろうか。不愉快である。
 それにしても1リーグ制に関する球界OBのスタンスは分かりやすい。 王貞治さんと張本勲さんはストライキに関して否定的である。これは彼等がオーナー側に立っているからということではないと思う。
 彼等はいずれも衆に抜きん出た才能を人並みはずれた努力で開花してきた選手であった。だからこそ選手は試合で自己主張をすることが第一と言う思いを持っているのであろう。そのような彼等にとってプレー以外の方法で主張をするというのは選手の本分ではないと考えているのではないか。「言いたいことを言うだけでなく、やることはやらないと」との発言はまさにそれであろう。
 また、この件に関しての王さんの発言で一番王さんらしいなと思ったのは「選手は(球団が)いくつになろうが必要とされる選手になること」というものである。
 要するに王さんにしろ張本さんにしろ、自分に確固たる自信があるのだ。例え球団が2つになったとしても必要とされる選手・・・彼等はまさにそういう選手だった。
 だからこのお二人の言うことも正論なのかな、とも思う。しかしながら、ぼくは彼等を尊敬しながらも、彼らの今回の意見には違和感を感じざるを得ない。
 王さんの丁度正反対の意見が『週刊ベースボール』7月19日号の池田親興さんの「たくさんの選手の実戦機会が減ってしまう」(記事の見出し)である。池田さんは王さん、張本さんに比べれば実績は(投手・野手の違いが有るとはいえ)二枚、三枚も格下、ということになろう。
 だが、圧倒的多数が超一流の選手では無い。いや、現実的には池田さんクラスの選手が圧倒的である。だれもが4番サードと言うことはありえない。しかし、そういった選手も一軍にいることで光る場合もある、一瞬でも光ることがあるかも知れない。球団がひとつ減ることによって、そうした可能性も失われるに違いない。
 更に言えば、最高峰の門戸を狭めることによって、今後の野球人口も(現在より尚)先細っていくのは必然、ということになる。野球を楽しむ人々がいなくなったとき、野球にお金を使う人々が少なくなってしまったとき、一番困るのは誰か。野球で喰っている人である。
 スト大いに結構(効果は疑問だが)。球界が苦境のとき、オーナーは野球を捨てれば良い。しかし選手、OBのなかに野球を捨てることの出来る人がどれほどいるのだろう。
2004年7月11日(日)
選挙のプロ
 朝早く、7時半には投票所に。比例は中村敦夫さんに。自民も民主も同じ穴でつながっている。日本には二大政党制はそぐわない。
 さて、女子バレーをちらちら見ながらこの日記を書いている。画面では常に当落のグラフが出ている。それにしても皆選挙速報が好きだな、と思う。明朝になればきっちり結果が出ているのに。
 バレー自体別に好きなスポーツではない。普段も全然見ないし、オリンピックもオリンピック自体に興味がないので、そこでも見ない。
 今ロシアに負けたようだ。昨日もちょいちょい見ていたのだが、3セット目くらいで見るのをやめた。
 それでも例年よりも格段にテレビを見ているのはひとえに「やっぱりバレーボール選手は色が白いなー」というところである。男子なら絶対に見ていなかったろう。
 色が白い。ぼくにとって色白の女性はそれだけでかなり惹かれるものがある。その上肌のきめが細かかったら顔のパーツの配列もそれほど気にならなくなる。逆に色が黒い女性はあまりそそられない。石川梨華さんはそれなりに整った顔をしている。しかしぼくは彼女のことを美人というのには非常に抵抗がある。やはり色が黒いからである。ぼくが色の黒い女性で「ああ美人だな」と思った芸能人は後藤久美子さんくらいである。逆に杏さゆりさんは、粗を探せばそれなりにあるのにもかかわらず、色の白さ肌の美しさもあって美人、といえる。ぼくの中で色白女性に対する「美人」のハードルは色黒女性のそれより低く設定されてある。
 しかし、ちょっと思い出しただけで例に出した杏さんだが、彼女の色の白さ、ぼくの好みからは少し外れる。彼女の場合純白に近い白なのだ。白人の白に近いというのか。ぼくの求めている色白はそうではなく、あくまで東アジア系黄色人種がもつ「白」である。グラビアアイドルで言えば熊田耀子さんあたりだろうか。
 本題に戻れば女子バレー選手にはぼくが惹かれてしまう種類の「色白の」方が多いから、見てしまう、ということになる。体育館の照明やカメラのせいかもかもしれないが、多分それほどの化粧が出来るわけではない選手達の顔を見ればその白さが際立つのである。
 特に大山加奈選手の白さは際立っている。彼女は整った顔だが、一重まぶたで、鼻の下も若干伸び気味である。全体的に見るとなんというか「ヌボーっと」している。さらにその肉体的な迫力をもてあますかのようになんとなくオドオドしているように感じる。コートを走り回る姿も、何か頼りなげである。
 肉体と精神のアンバランスさ。その肉体を包む白い肌がうっすらとかいた汗で光るのが素晴らしく、つい彼女に見入ってしまう。本当はもう少しナマの言葉で書きたかったが。
 あと、そのほかの選手を見て。
 大友愛選手は喪服(洋装)と黒のストッキングが似合いそうだ。
 杉山祥子選手は、顔は一番整っているような気がするが、夜叉系だ。
 栗原恵選手のニックネーム、「プリンセスメグ」は恐らく大山選手との比較だけでそう呼ばれているんだと確信した。
 「世界が恐れる日本の元気印」という冠をつけられる気分はどうなのだろう。「元気印」というのは星野勘太郎さんの「突貫小僧」みたいなものだろうか。
 こんなところである。
2004年7月10日(土)
言葉の軽さ
 安倍なつみさんのカロリーメイトゼリーのコマーシャルを大塚製薬の『OTSUKA ADVIEW-SITE』にて鑑賞。安倍さんの出番の少なさに愕然とする。めざましテレビでみた映像がそのまま本編だったとは。小汚い汗だくの男どもを見るのは耐えがたい苦痛であり、また安倍さんだけで充分、画面は持つはずである。まだバージョン違いはあるのだろうし、一昨日も書いたように王さん(あるいは松山容子さん)のボンカレーのように長いお付き合いになる(はず)なので後に期待するべきなのか。
 
 日本プロ野球界の「偉大なる将軍様」こと読売新聞のナベツネさんの「たかが選手・・・」発言であるが、彼は「自分の」新聞が世界一の部数を誇っている原因が何なのか分かっていないのだろうか。
 まさか、その政府広報さながらの記事内容によってそれが守られていると思っているのだろうか。
 それはONを擁していた巨人軍(今はその貯金で喰っている)と、これも世界一(他の国にあるかは知らないが)”粘り強い”拡張員軍団の功績である。おそらく、渡辺さんが書いてきた記事に惹かれて読売を購読し続けている人よりも、王貞治さんのホームランや、長嶋茂雄さんの華麗な守備に惹かれ、彼らが所属している球団の親会社だからという理由や、「巨人戦のチケットありますよ」といった熱心(迷惑)な勧誘をする拡張員に負けて、という方が、何千倍も多いはずである(今はチケットを勧誘の手立てには使えないみたいだが)。
 恐ろしく滑稽な話である。彼は王さんまで「たかが」と思っているのだろうが、どちらが「たかが」なのかは一目瞭然だろう。人間としての「出来」が全く違う。比較すること自体が申し訳ない。
 それにしてもナベジョンイル。(元)共産党員というのには妙に説得力がある。要するに山の頂上に登りたいだけなのだ。かれにとってそれがどの山の頂でも良いのである。頂上の周りは雲で見えなくなっているのだから。
 原辰徳さんのサイトから「プロ野球界を思って」という7月8日の日記が削除された。その中で彼は「はっきり言って、球団数の削減という流れに 賛成するプロ野球人はいないでしょう。私もそのうちの一人です。」と、今回の経営者側の動きに関する(いささか否定的な)疑問を率直に述べている。
 削除については、この内容に対してなんらかの圧力が加わったからなのか、それとも原さんが彼個人の判断で行ったのかは知る術がない。だが「そのような空気」が原さんの周囲で醸成されていったのではないだろうか。「例の国」には渦巻いているであろう空気が。原さんは空気が読めなかったのかもしれない。いずれにせよこの件で彼を責める気はない。人にはそれぞれ立場があるのだろうし、それ(老人いわく”分”というものか)をわきまえずに発言するのは非常にリスクがあることだ。彼の立場を鑑みれば、自分のことを棚に上げてそれを批判することなどできない。
 その立場になれば、我々全員が宮本和知さんのようになるしかないのかもしれないのだから。

 女子バレーボールのことも書きたかったがまた折を見て。
2004年7月8日(木)
七夕の終わり
 子供の頃好きな球団はと聞かれれば「ロッテオリオンズ」と答えていた。そして高校生を卒業するまで、ついぞぼくの他にロッテファンを名乗る人に合うことはなかった。小学校でも巨人、ヤクルト(母親のヤクルトおばさん率高し)、近鉄、広島の野球帽は結構いたが、ロッテの帽子はぼくしか被っていなかった。ちなみに当時は少年野球チームが町内に1チームはあったから、それぞれのチームの帽子を被っている場合も多かった。今はどうなのだろう。
 少数派であることにむしろ優越感を感じていたのかもしれない。村田、リー兄弟、有藤・・・「ポパイ」落合博満が三冠王となっても、ロッテを好きという人は現れなかった。ぼくは札幌市立○○小学校内唯一のロッテファンであり続けた。北海道では川崎の試合を見る機会なんて殆ど無かったが・・・。以後、BIG1こと王貞治さんがダイエーの監督になるまで。
 パ・リーグが消滅したあと、あるいは万一パ・リーグがなくならなくても、野球帽を被った子供は減る一方だろうし、町内会の野球チームも減り続けていくのだろう。それはロッテが球団として消えたとしても残ったとしても、全く関係が無いことである。
 パ・リーグがなくなってもせいぜい数百万の人間が悲しむだけのことだ。だが、パ・リーグを消滅させようとしている人々には、そのことを一生忘れて欲しくない。

 浴衣の安倍なつみさんの純日本人らしい体型。菜食を中心とした人間は肉食のそれよりも腸が長くなり、胴も長くなるという。彼女と玄米はだからベストマッチングなのだ。
 そしてその胴の長さ、現代人には余り必要とされていない部分を持っているそのことこそが、彼女の演技に余韻を持たせている一要因のはずである。字余りの効用。和服エロスの条件。
 大塚製薬の営業マンはウィダーインゼリーの棚を一段でも奪うことに血道をあげるべきだ。今すぐドラッグストアへ。
 そして我々は栄養過多を承知でカロリーメイトゼリーを摂取につぐ摂取。大塚製薬。ボンカレーは王貞治、オロナミンCは大村昆(漢字多分間違い)、そしてカロリーメイトゼリーは安倍なつみ。久々の金看板である。
2004年7月6日(火)
そ知らぬ顔
 結局、70年の歴史を誇っていた日本のプロ野球が、断じて「国民的」スポーツなどではなかったことを証明してしまった近鉄・オリックス合併騒動。
 今回、発行部数は世界一の新聞屋さんがバッシングの中心になっているが、ぼくはあの老人の所有球団よりも他の球団のオーナーの方がロクでもないなと思っている。だらしがなさ過ぎであり、いってみればおこぼれを拾うハゲタカのようなものだ。少なくともあの老人は自分の持ち物を、ブランドを守ることに対しては一所懸命である。
 それよりもっと腹立たしいのは、安全地帯で競争相手が死ぬのを待っている関西のタテジマ球団である。いままでも人気に胡坐をかき、内部の人事抗争ばかりで本質的なチーム補強は後回しだった。これはただ騒げれば良いとするファンにも問題があるだろう。唯一巨人に対抗出来得るこの球団の消極的な姿勢が球界全体の発展を大きく阻害したのではないか。
 今回も新球団のプロテクト選手数にケチをつけたり、強引に複数フランチャイズ制を認めさせたりと、相変わらずケツの穴の小さいところを見せつけている。彼らの本音は「自分とこのことだけを考えるんやったら、極端な話(プロ野球は)ウチと巨人だけでもいいんですよ」である。
 端的に言えば阪神タイガースという球団は「関西の読売巨人軍」ということだ。セ・パ分裂も江川問題も今回も、彼らは常に巨人軍とともにあった糟糠の妻である。小さな揉め事もあったろうがそれは「イヌも喰わない」夫婦喧嘩の類である。
 これからも夫唱婦随で球界をミスリードし続けることだけは間違いないだろう。近い将来、日本のプロ野球が終焉を迎えるときには両球団のオーナーはいないかもしれないが。

 7月3日の『ハローモーニング』(北海道での放映日)、久々の「投稿!笑わん姫」にて。
 旅行(行幸?)から宮殿に戻った姫後藤真希さんが、執事安倍なつみさんに、
 「どさんを買って来た」
 執事「どさん?姫それは土産(みやげ)と読むんですよ」
 姫、途端に表情を険しくして、
 「む〜、お前嫌い!」

 後藤真希さんに「お前嫌い!」と、面と向かって言われたい。本気でそう思った。
 嫌われるより好かれた方が良い、だが中途半端に好印象を持たれるよりも、自分の存在を意識されないことよりも、思い切り嫌われた方が、憎まれた方がより強い快楽を得られるような気がしてならない。それが後藤真希さんなら尚更。
2004年7月5日(月)
食事が進まない
 昨日は『新選組!』のことしか書いていなかったのだが、土曜日、木曜の昼に放映していた『豆腐屋直次郎の裏の顔2』を見ることが出来た。こちらの方が本命である。
 本放映が’91年ということで主演の萩原健一さんはまだ40前後だろう。この『豆腐屋直次郎の裏の顔』というドラマは、確か2作ほど2時間枠で放映があり、好評だったのか連続ドラマになっている。萩原健一さん演じる直次郎は腕のいい銀行強盗だったが、一度逮捕、刑務所入りした後は素性を隠し渡辺えり子さん演じる豆腐屋の婿養子に入ってカタギの生活を送っている。そこにかつての弟分の常山(佐藤B作さん)が銀行強盗の仕事の話を持ってやってきて・・・というパターンでシリーズは作られ、ショーケンとB作さんは所謂「義賊」的な感じで弱い立場の人を助けてゆくのが常なのだが、やはり銀行強盗を主人公にするのはインパクトがあった。学生時代にオンタイムで2時間のころから見て、一気にハマッてしまった。
 今回見た『豆腐屋直次郎の裏の顔2』はヒロインに故可愛かずみさん、敵役に片桐竜次、北見敏之さんが出演。可愛さんはやくざの情婦で、武器輸入にも関わっていたが嫌気が差し、そのやくざを殺してしまい、B作にかくまわれる。武器輸入の証人である可愛さんをやくざの片桐さん、悪徳刑事の北見さんが追う。海外に逃亡する資金を稼ぐために強盗を計画するB作がショーケンを無理やり誘う、というのがあらすじ。ショーケンとB作、ショーケンとえり子のからみがなんといっても楽しい。また傍役の梅津栄さん、粟津號さん、野口貴史さんといったにぎやかな顔ぶれで飽きさせない。また、ラスト可愛さんが射殺され、惚れていたB作さんが死体の可愛さんに見せる演技にはホロッとさせられる、緩急のつけ方が絶妙なのである。ビデオ永久保存である。確か東映製作だったと思ったが、『はみだし刑事』の後のシリーズは『直次郎』を再びやってはどうだろうか。水谷豊さんの『相棒』3rdシーズンが終わったあとをショーケンが引き継いだら最高なのだが。
 さて、現在のショーケン。過去の『傷だらけの天使』、『前略、おふくろ様』の世代は割と失望が多いのだろうか。確かに『直次郎』の頃と比べればかなり老けている。しかしながら『直次郎』や『課長さんの厄年』で彼を好きになったぼくにとっては、この老いはむしろ好もしいものだ。
 ショーケンやジュリーこと沢田研二さんは確実に老い、所謂全盛期とは全く印象が変わっている。言ってみれば「老醜」ともいえるかも知れない。だが、それは確実に新しい「味」になっている。また、彼らには若い頃の「鋭さ」をいまでも見出すことが出来る。「老いても尚美しい」、「美しく老いる」ことが芸能に生きる人の唯一の道ではない。吉永小百合さんなんかは見ていて全く面白みが無い。老いて朽ちる姿を見せ付けることもまた、力が要ることではないかと思う。先に死んでしまった松田優作さんには絶対に出来ないことだ。
 今は松田さんよりも断然、このお二人が好きだ。
 ジュリーとショーケンの歌の話も書きたいがまとまらないので後にしよう。

 そういえばこの前『ごきげんよう』に『直次郎』に出演していた坂本あきらさんが出ていたのにはびっくりした。坂本さん知っている人がどれだけいるのか。しかも殆ど変わっていなかったのに2度びっくりである。
2004年7月4日(日)
沖田総司=志村東吾
 土曜日、昼、NHK大河ドラマ『新選組!』をながらで見る。
 初回のファーストシーンの殺陣が本当にどうしようもなかったので、そのシーン以降全く見ていなかったのだが、この日は芹沢鴨暗殺の回(本放送時は忘れていたけど)ということと、暇だったのでチャンネルをあわせた。
 やはり「NHK」の「大河ドラマ」で新選組をやるのは無理があるな、と思う。
 殺陣は初回からの進歩が殆ど見られなかった。そもそも新選組は幕末の仇花的存在であって、それをドラマにする価値としては派手なチャンバラシーンがあると思うが、演じている俳優がまずいのか、殺陣のつけ方がまずいのか、華麗さはもちろん(新選組ではいらないだろうし)、豪快さ、迫力、スピード感、仲間内での斬り合いという切迫感、が、全く欠けていた。今後池田屋の回は見るつもりだが、この分では全く期待は出来ないだろう。
 殺陣がだめなら内部抗争・集団抗争的な時代劇(これもしっかりした殺陣がなければ無理なはず)にすればよいと思うが、これもNHKでやるわけだから近藤はじめ汚れ切れないのは必然(「徳川家康」も凄かった)だろう。今回もお梅を自殺とした解釈には嘘寒いものを感じた。見てないのでそこら辺は分からないが、テレビ誌の予告で今週は与力内山殺しの回のという、これは尊攘派の多くの「天誅」と同じような、「自分の都合による」殺人であったはずだが、予告では内山が新選組の「抵抗勢力(=悪)」的な論理で殺されるような記事であった。別に奇麗事がいけないというわけではないが、美辞麗句でつづられるようなドラマをわざわざ新選組でやる必要はないと思う。これからも結構所謂汚れのある場面が出てくるはずなのだが。
 新選組は作家にとっては面白い題材なのだろう。だから様々な作品が生まれ、それぞれの作品を読んだファンがそれぞれの「新選組」イメージを思い入れたっぷりに作っていくので、これは違う、この人はこんなことはしない、といった排他的な意見も出やすい。ぼくの意見もそのようなものである。
 ちなみにぼくがいままで読んできた新選組関連の創作で特に面白かったのは水木しげるの『劇画 近藤勇 星をつかみそこねる男』と、津本陽の『虎狼は空に 小説新選組』の二作である。水木さんの作品は百姓あがりでたまたま剣の才能があった青年が、祭り上げられ、博打に負けて、死んでいくさまがなんとも言えない哀感があり、切ない。例の写真の近藤勇を見るとよりこの作品が説得力のあるものに見えてくる。津本さんの小説は独特の突き放したような文章からくる物語の面白さと斬り合いの場面の迫力。こう書いてしまっては反感をもたれるかもしれないが、今回の大河ドラマの数倍、刀の重さ、斬人の感覚、血の匂いを感じることが出来る。関係のない話だが、『下天は夢か』以降、津本さんの作品に『虎狼は・・・』のような「チャンバラ」の醍醐味が失われていったのが残念だ。
 この2作ともラストシーンが素晴らしい、余韻の残るセリフがある。読んでいない方は一度読んで欲しい。
 あと、日記タイトルはぼくのイメージの中の沖田総司・・・ヒラメ顔、色黒、あばた、ひょろっとして茫洋としているといったイメージを役者で探すと志村東吾さんになるということ。すくなくとも藤原竜也さんではない。また、新選組の隊士を年齢から配役していくのは間違いだと思う。幕末と現代では同年でも顔つきが違ってくるだろう。




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