日記5月下旬
2004年5月19日(水)
最初の言葉

 今日も仕事をサボりながらなかなか上手くいかないサイト作りのことをほぼ一日考えていた。
 IBMのホームページビルダー8を中古で買い、マニュアルが無いのを我慢しいしい使っては見たものの、トップページを転送することさえままならない。
 ついに「超図解 ホームページ・ビルダーV8 総合編」なんてのを買ってきてしまった。1,480円+税、本体自体5千数百円だったので7千円近い散財。この時点で25日の給料日まで3千円で暮らすことを強いられる。
 そして現在、所持金は8百円と少し。
 何も無い春。
 だが、今日は「安倍なつみ」さん出演の「金持ちなんとか」がある。
 と、思ったら
、日記の文字色が黒になってる・・・

2004年5月20日(木)
エルビンジョーンズ死去

 エルビンジョーンズが亡くなってしまった。残念だが寿命なのだろう。
 それに最近のエルビンを聴いていたわけではない。聴いているのはコルトレーンのものだけだから、それほど熱心なわけでもない。
 ただ、そのレコードの中でのエルビンのドラムは、音楽的な素養の無い僕でさえも無条件に、捻じ伏せられるように感動させられた。
 テクニックなどはわからないけれども、僕が音楽に求めているものというのは漠然としながらはっきりしている。
 エルビンの参加したレコード「至上の愛」は本当に僕が求めていた音楽ではあった。

2004年5月21日(金)
日記の文字色の換え方やっとわかった

 と、思ったら今度下書き部分が白で、文字が見えなくなってしまった。
 

2004年5月22日(土)
寒い

 雨も降ってないのにえらく寒い。自己体感気温は3月下旬並。
 ストーブを焚こうにも灯油が無い。この時期スタンドに買いに行くのはさすがに恥ずかしい。何分家にいるときは真冬でもTシャツにトランクスである。鳥肌。

 今日、仕事は休みだったが、どうしても得意先に行く必要があり、出かけた。商談が終わるところでその得意先に対する受注ミスによる誤配が発覚。原因はこちらにあり平謝り。が、一番の元凶である業務のババアはさして反省の様子も無い。しかも電話の受け間違いでその他3件の店にも同じ商品を誤って受注。あわてて正規の商品を手配したものの間違えた商品の返品はメーカーが受け付けない・・・。それでもババア涼しい顔。
 彼女40歳を少し過ぎたぐらいなんだがとにかく間違いが多い
。それでいて失敗しても涼しい顔である。怒れば、泣く。泣いて許される年齢でもないのに。子供もいるのに。そのくせ30分もすればまた涼しい顔、である。
 結局、20代ぐらいまでの何をやっても許される、という時代を40になった今でも「通過中」だと思っているのだろう。救いようが無い。が、可哀想でもある。
 まあ、うちの会社はもう一人、50半ばで「通過中」のババアもいて、この人もまだ自分が可愛い、と思っている様子。もうこうなると悲惨な喜劇でしかない。そしてこの二人がわが支店の全女子であるのは、もっと悲惨な喜劇だ。

 歳のとり方というのは難しい。女は。男もだが。

2004年5月23日(日)
そりゃないだろう、と。

 北朝鮮の拉致被害者問題が延々とテレビに流れている。そのおかげで安倍なつみさん主演の「仔犬のワルツ」が大幅な時間変更を余儀なくされた。
 されたが、そのことに関して特別怒っているわけでもない。HDDレコーダーを5時間稼動させていたのが奏功し、ドラマは全て録画されていた。それに僕はこのドラマ、全ての回を録画しているが、
その全ての回を見ていないのである。安倍なつみさんが好きであるにもかかわらず。
 対して、別にそれほど好きでもない(嫌いでは断じてない)「中澤裕子」さん主演の昼ドラ「ほーむめーかー」は録画して毎日見ている。
 元来TBS系のほのぼの昼ドラは結構好きで、「ぽっかぽか」は当時学生だった僕に主演の七瀬なつみの写真集を買いに走らせたほど熱くさせたものである。その後も「野々宮家の一族(岡本麗主演)」・「ぽっかぽか」両シリーズは大学を卒業し、サラリーマンになっても録画して見ていたくらいだ。
 それほど大それた事件があるわけでもない、多少デフォルメされた生活(そこに全くリアルな生活感は無い)がのんべんだらりと繰り広げられる。そこには「仔犬のワルツ」的な非日常よりももっとかけ離れた非日常性があるような気がしてならない。面倒臭い日々の暮らしにはその非現実的な日常がより心地よく、心安らかに見ることができるのである。
 ま、「仔犬のワルツ」は、いつになるかわからないが必ず見る。安倍なつみには歌手よりも俳優のほうが絶対にあっている。という個人的な確信を持っているから。

2004年5月24日(月)
執念のビジネス
 モーニング娘。の飯田圭織さんと石川梨華さんの卒業が発表された。
 やはり、と、いうべきか、以前のようなニュースバリューを持ち得ないこの発表は(今日は他にもっと注目すべき話題があることも手伝い)世間的にはあまり話題にならないものであったが、ファンの間においては一定の波紋を広げることに成功したのだろう。
 これは安倍なつみさんの卒業のときにも感じたものだが、相変わらず彼女達の所属している事務所の「どのようなことがあっても『モーニング娘。』を存続させる」という意志の強さ、執念に慄然とし、同時に尊敬する。せざるを得ない。今回の件でも最初に一報を聞いたときには彼らは、「来年4月までは解散は無い」という裏書をしたのだな、という印象を抱いたものだ。
 「モーニング娘。」を存続させるには、これしか方法が無い。という一念。新規の少ない顧客を捕まえ、従前の顧客からは「モーニング娘。」から派生した商品を買わせる。彼女達の商売のターゲットは、より狭く、深いものに(客単価が高い)ものになっていくのは間違いないだろう。
 しかしながら。思い入れのあるタレントがその集団から抜ける、消えることによって、集団への興味が消えてしまうことがままある。僕もそのクチだ。そういう意味では僕にとっては「モーニング娘。」は「プロレス」に似ている。ジャンボ鶴田にボコボコにされてた秋山準を、メインイベンターとしては見るのは難しい。思い入れが強ければ強いほど。
 石川さんにはこの機に歯並びを直してもらいたいものだ。
 
2004年5月25日(火)
加齢臭
 地方の新規顧客を訪問、打ち合わせ。
 この客が実に筋が悪く、非常に疲れる。また、明日も会わねばならない。前後の車の運転もいい加減嫌になってくるほど、神経を使う。
 さて。僕は三十を少し過ぎたころから本当に唐突に加齢臭が気になりだした。
 それは今日のように疲れたとき、家に帰ってふと脱いだワイシャツの匂いを嗅いで感じたものである。腋臭とも、あの若いとき特有の「すっかい」匂いでもない、なんとも「だらっ」とした臭気。強烈に臭い!とは感じない、だが明らかにその存在を主張している匂い。
 白髪や薄毛、中年太り、仁丹臭といった感覚として極はっきりと感じさせられるものでは無い分、それが現れ、自覚した瞬間に尚更「年をとったものにしか分からない」リアルさを突きつけられた気がした。この衝撃はギックリ腰(これも体験済み)と同じくらい、経験したものにしか解らない痛みであろう。
 それぞれの年代になってみないと解らないものは確かにある。相手の立場を思いやる。と、いうことは尊いことだが同時にむなしい事でもある。

 話は昨日に戻って「モーニング娘。」。飯田圭織さんと石川梨華さんの卒業、脱退の話である。
 今回も前回の安倍なつみさんの卒業に続いて、一人が卒業モードに入っている間に、また新たな卒業発表をしてしまった。まだ先に辻希美さん、加護亜依さんの卒業が控えているのにもかかわらず・・・である。
 芸能の世界が人々に対し「目に見えない価値」を提供するという、いってみれば「虚」の世界であるならば、単なる「脱退」を「卒業」という言葉に置き換えて涼しい顔ができる世界なのであれば、その「虚」の部分はより現実感のあるもので無ければならないと、僕は思う。伊丹十三の「マルサの女」に出てくる帳簿類の明細の帳尻が完全に合っていた、という逸話のように。
 今回のあまりにも判で押したような、機械的な発表には辻・加護の卒業の余韻を感じさせない無粋さがあるし、約一年後の「卒業」という期間の長さに関しても、そこに「業」を「修めた」から「卒業」、その集団にいたことによって何かを得ることができ、次のステップに移ることができたので、その集団から巣立つ。と、いうことではないと感じさせられる。もし、彼女達が、次のステップに入る要件を満たしたのであれば、一年後などではなく、すぐにでも「卒業」すればよいことだ。
 僕は「卒業」⇔「新加入」という方法を決して否定しない。ただ、説得力のある「虚」を提供して欲しい。心地よく騙されるようなものを欲している。三十男の描写をするにはその加齢臭が漂うほどのリアリティが欲しいのである。
2004年5月26日(水)
抜打ちの裸
 先程テレビをつけたらいきなりカイヤ川崎さんの入浴シーンが放映中であった。需要なき供給であろう。

 先方の都合でセッティングされていた商談が急遽フイになり、同行のメーカー営業に頭を下げ、別れる。下げたは下げたで午後はその商談が長引くものとしてこの一軒しか予定を立てていない。と、なればそこはそれ僕もすぐほかの仕事に掛かれる程頭の切り替えが早いわけではない。まずまず仕事は小休止し、営業車でふらふら。と、いうことになる。
 で、行き着いた先が本屋。立ち読みで時間をつぶす王道だが、つい先日安倍なつみさんの「陽光」他を購入したばかりでさすがに給料日直後とはいえここは締めるべき場面として、立ち読みオンリーで通すと決める。 ひとしきり売り場をうろうろし、先日もろもろ本を買っていたこともあり、特に買いたいものも無し。と、芸能関連の本棚に行く。ここは購入時「陽光」が置いておらず、しかたなく他の店へ廻って買ったのだが、今日も置いていない。まず入荷しないのだろう。
 棚を隈なく探すが、無い。僕が住んでいる町ではかなり大きい本屋なのだが、無い。まあこちらも本自体は既に持っているので気分は悪いがそれはそれで仕方ない。時間も潰れたし出るか。と、
 「広田樹里写真集」。その店の狭い写真集の棚にささっていた背表紙である。
 広田樹里さんの名前を久しぶりに見たのだが、久しぶりであるだけに僕は彼女がいまだ活動をしているとも思っておらず、かといってまた旧作が回転の速いこの店に置いてあるとも思えない。
 棚からひっぱりだす。
 「広田樹里写真集 なにごともない日々
 完璧なヌード写真集だ。
 家に帰り、2chを見る。彼女に何があったのか。1st写真集から「エグイ」露出度ではあったが、そのおっとりとした、「なんとなく」上品そうなルックスもあり、これも「なんとなく」脱ぎそうにないな、と思っていたのだが。加えて、写真集の帯にはwowowでの深夜(エロ)ドラマ主演とあった。
 僕自身の先入観もこの程度だが、それにしても芸能の世界というのはどうにも奥深いものだ。彼女はどのような展望のもとに一連の仕事を決意したのか。
 取り敢えず動き出さなければならないのか。どのようなかたちであれ。
 後、彼女のファンサイト「ジュリスト」が運営されていたのは、本当にすばらしいことだな、と。
 
2004年5月27日(木)
意気消沈
 約一ヶ月間ほぼかかりきりであった仕事が今日、全てふいになってしまった。
 関わってくれた全ての方に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
 これ程の敗北感は感じたことがない。
2004年5月28日(金)
所帯やつれ

 GW分の代休。明日も。
 なんとなくはまって見てしまっている、中澤裕子さん主演の昼ドラ「ほーむめーかー」だが、来週で最終回のようだ。
 明るく、図々しく、すぐにキレる、言いたいことを言う、とやりたい放題やりながらも誰からも愛されるというのはそれこそ「男はつらいよ」の寅さんを筆頭に人気がある、定番の
キャラクターで、現実に周りにいたら確実に嫌われるのだが、今回はドラマ自体のストーリー構成がしっかりしていること、傍役を含めた人物の造形が的確であること(キャスティングも)、なにより主演の中澤さんが厭味の無い、説得力のある演技をしていたことで、完全にこのキャラクターを生かしきった。ドラマ自体も生きている、動いているものになっていると思う。シリーズ化を個人的に希望する。
 ドラマの出来もさることながら、それさえどうでもいいほどに、僕をひきつけてやまないのは、幸子役の「中村綾」さんである。71年生まれということは今年33歳。
 顔は10年以上前、アイドルとして水着姿を披露していた時分とあまり変わっていないように思えるのだが、本当に結婚し、子供が一人か二人いるような老け方だ。まさに「所帯やつれ」という言葉がぴったり来る。
 思えばこれは当時から、かなり露出度の高い水着などに気をとられ、顔が地味、という印象が薄かったからくるギャップかもしれない。
 けれども、彼女の魅力は全く失せているのか、といえばこれは全く逆で、地味であるがゆえの薄幸そうな(負の)オーラと、目立たないこれまた地味な、露出の全く無い服装から、往時から比べれば肉付きが薄くなった、それでも充分女性的な胸や、尻のラインが分かる。
 特に尻、というのは、いくら肉が落ちても、そのもって生まれた骨格から、その尻の「張り出し」は変わらない。見事としか言いようの無いその「張り出し」こそエロスであり、今回、役柄とも相俟って、30代の女性の(性的)魅力を沈黙のうちに表現しきっているのだ。偉大な「所帯やつれ」。
 書いてて恥ずかしい。
 

2004年5月29日(土)
赤ヘル軍団
 ポップジャムにて安倍なつみさんの新曲「だって生きてかなくちゃ」をはじめてきちんと聴く。
 和田アキ子さんの「だってしょうがないじゃない」に似ていると思った。
 ドリカムの「やさしいキスをして」が来生たかおさんの「白いラビリンス」に似ているのと同じ様に。
 昨日のハロモニ(北海道約2週遅れ)でセ・リーグ6球団の帽子を見てその球団名を当てる、というクイズがあったが、女の子だけに野球に関する知識は(石川さん以外)皆無のようで、辻希美さんが巨人のことを「ジャイアント」と答えたのには驚いた(ON日本シリーズの始球式をやっていたような・・・)。パ・リーグなら問題にさえならなかったろう。
 また、広島カープをメンバーのほとんどが知らず、回答者の紺野あさ美さんは帽子の「CARP」の縫い取りで「カープ」と答え、正解した。思えば赤ヘル黄金期はもう20年以上前。生まれていないメンバーのほうが多いのである。彼女達に古葉監督の立ち姿の真似をしても誰も笑ってくれないのか。
 と、ダブルユーが彼女達のカバーアルバムでピンクレディーの「サウスポー」を歌っているとの情報。「フラミンゴみたいひょいと一本足」で立つ、「背番号1の凄いやつ」、「スーパースター」が「ジャイアント」の選手であったことを辻さんは全く知らずに歌っているのだろう。
 王さんは偉大である。
 後、大沢親分のお孫さん(名前失念)は同日のポップジャムにて「あっぱれ」を決めた。
2004年5月30日(日)
死ぬと生きるじゃ大違い
 もうすぐ転勤を言い渡されるのではないかと非常に鬱々とした気分で引き篭もる。外へ出てどうこうとも思わず、部屋の掃除も、まだ。車のタイヤ交換もしていない。倦怠感のみ。食料調達も自分でしなければならないのがしんどいくらいだ。
 昨日のポップジャム。編集しながら見る。安倍なつみさんの新曲でバックダンサーを務めるショートカットのアヤカさんが市井紗耶香さんに見えるのも気分の問題だろうか。
 同放送内で、「ブレークリーダー」なる端的に言えば「売れそうか、売れなさそうか。」を観客が投票する企画においてベリーズ工房の支持率が35%強であったのだが、これはこの企画歴代でもかなり低い値のようで、各サイト、掲示板でも話題になっている様子。
 投票者の傾向がどの様なものなのかが分からないのだが、若年者、それも女性が多かったのではないかと思う。
 思うが、例え投票者がその世代の女性ではなかったとしても、支持率がそれ程劇的に上がったのでは、と感じさせないところが彼女達にとって厳しいところではある。
 具体的に彼女達を支持するように思える年代というのはどのあたりなのか。ぼくが想像できるのは年配者と一部の青年層位だ。
 子供が一番可愛い時期というのが2〜3歳位、というのを結構良く聞くが、本能で、無条件にその子を「守らなければならない」と感じるのがこの時期なのであろう。あとは未就学児あたりだろうか、それ以降は言葉も達者になり、別の可愛さを身につけていくのだろう。
 ベリーズ工房の面々はもう、そのような(女子中高生が赤ちゃんや幼稚園児を見てやたらに「かわいい!」と叫ぶように)無条件に「愛される」年齢でも、容姿でも無い。だからこそ、彼女達に「萌え」る人々もいるのだろうし、今回の支持率に関してもそう考えれば割り切れる。
 さて、この一連のベリーズ工房にまつわる話はいってみれば刺身のツマである。
 本題はかつて、中学生であるにもかかわらず大勢から「本能的」に愛されていた二人組「ダブルユー(旧辻加護)の話である。
 加入時からしばらくの間、二人はまさに老若男女、幼稚園小学生の男子女子からOL、サラリーマン、年金暮らしの老人まで、存在自体が笑顔で語られる話題となっていた。中年のサラリーマンが中学女子を語ってもタブーにはならなかったのである。
 時は経ち彼女達は結婚もできる年齢となった。卒業が発表され二人のユニット(ダブルユー)が結成されることも決まった。
 その発表を耳にしたとき、ぼくは「一番険しい道を選んでしまったな」と感じた。と同時に期待もした。ユニットが彼女達の成長に沿うかたちで、彼女達の新しい魅力を引き出してくれれば良いのである。
 しかしながら、テレビ番組で提示された「ダブルユー」の姿は、「モーニング娘。永遠の末っ子」、「おそろいのオーバーオールに髪にはボンボンの辻ちゃん加護ちゃん」から一歩も抜け出ていないものであった。
 彼女達はモーニング娘。を卒業するのである。
 人工的に人々の本能をくすぐっても芸能界においてその先に見えるマーケットは「斉藤ゆう子」さんの領分だけだ。
2004年5月31日(月)
蒸します
 GWと思えばもう月末。ぼくを含む多くの営業マンにとって憂鬱な日だが月末にジタバタしても始まらないのである。
 憂鬱な心に追討ちをかけるように今日は雨、気温も高くぼくを含む多くのデブにとっては気持ちが塞ぐほどの不快感である。
 先程、飯を食いながらテレビを見ていたら榊原郁恵・井森美幸・山瀬まみの3女史が映っていた。このお三方メインのレギュラーバラエティーのようである。
 内容としてはダイエットの話題、一般視聴者(か、どうかは分からないが)の太った主婦がダイエットにいそしむというありきたりのもの。例によってどうにもならないだらしなさをテレビに見せつける主婦。別にだらしない生活を送ったり、その延長として太ったりすること自体はなんら悪いことでは無い。しかし彼女がそのような日常を大勢に見せることに抵抗を感じない、という思考そのものが、どうにもぼくを参らせるのだ。見ているこちらの心が貧しくなっていくようだ。これはまったくぼくの私見だけれども。
 まあそのようなことはどうでも良いのだが。話は元に戻ってメインパーソナリティーの3人について、井森さん、山瀬さんの2人に関しては元バラドル(古いけれども)、現在もバラエティータレント(これも古いか)と呼べるだろう。対して、榊原さん(違和感あり)は何か。順当なのは元アイドル、というものだ。
 が、現在はどうなのか。バラエティータレント、としては、彼女にはバラエティー番組に必要な「場を盛り上げる」才能が著しく欠如している。今放送でも彼女の会話の能力は、単に「面白い/面白くない」の問題ではなく、他の2人に比して明らかに「劣っていた」。
 彼女は今でもアイドルなのである。仕切りも上手くなく、自分では面白いと満々の自信で話すネタはほぼ壊滅的な面白く無さ。
 しかしながら「郁恵ちゃん」はアイドルであるから、そのようなことはどうでも良いのだ。バラドルは「面白い(実際そうである必要は無いが)」ことが存在価値だが、アイドルはそこにいることが既に立派な存在価値なのである。彼女がテレビに出る限り他の選択肢は無い。誰にも支持されなくてもアイドルであり続け、アイドルで無くなった時に彼女の役目は終わる。
 彼女は脱皮には失敗したのだろうが、比類なき地平に向かって進み続けている。こうなると立派なフロンティアである。(これに近い例は吉永小百合さんの「清純派女優」という肩書。)
 さて、このような榊原さんを見て、我等が安倍なつみさんを連想する方もいるようだ。ぼくもその一人ではあるのだが、榊原さんと比べればまだ器用ではあると思うのだが、彼女も充分に「生涯現役アイドル」の素質があるのではないか。既に7年もアイドルの最前線にいること自体がそれを証明している。これは素晴らしい素質であるけれども、それが本人やファンにとって最良であるかは微妙なところではある。
 出来れば、安倍さんには同じアイドルでも元キャディーズの田中好子さんのような女優になって欲しい。彼女のアイドル時代のたたずまいは(ぼくはその当時まったくのこどもであったので記憶は朧だが)安倍さんに重なるものがある(伊藤蘭さんは後藤真希さんをイメージさせる)。田中さんも素晴らしい才能を持ったアイドルであったが、その後女優としての才能も見事に開花させた。
 ぼくは安倍さんには歌手よりも女優として魅力を感じている。キャリアをつみ、数十年後、テレビで明るく、強い母親役をしている彼女を見ることが出来たら、こんなに幸福な再会は無いのではないか。ちょっと早いかも知れないが、そんな夢想にかられている。ぼくは出来るだけ長く彼女を見ていたいのである。
 それが結論だ。

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